下町ビュー

国内サッカー(主にグランパス)、社会福祉と街歩き、人について書いています。

2018年 名古屋グランパス の前にJリーグ.93年

2年ぶりのJ1リーグ。

こんなに大変なのかと思わせてくれる序盤です。

Jリーグは今シーズンで26年目。

 

開幕年は小学5年生。

東京下町の小学校はヴェルディ川崎を応援する生徒で溢れ、少し天邪鬼な人はブルーの装いが鮮やかなマリノス贔屓。

わたしはどのクラブにもあまり興味は持たず、初めて買ったJリーグチップスに付いてきた選手カードが名古屋グランパスの選手で、ユニフォームのカラーが朱色と黄色という、そのカラーリングにイイね!と思い一人グランパスをひそかに贔屓にした。

 

華々しく開幕したJリーグ。

基本的に世の中のすべてに天邪鬼なわたしは開幕した93年5月15日に親と当時は東京ドームをホームグランドにしていた日ハムの試合を観戦に行ったことを覚えている。

 

Jリーグの記念すべき初ゴールは誰もが期待したカズではなく、マイヤー。Jリーグを彩るブラジル人助っ人、ではなく稀少な国となるオランダ人選手だったこともあまり気にならず。

 

今にして思えば、プロ化、そしてスタートしたJリーグはやはり日本の各企業人達の尽力もあって大成功といえるスタートだったといえる。

どのクラブもこれから形と文化を創る時、フォーマットとして応援はチアホーン、ユニフォームのメーカーはミズノ、サッカー好きを日常に取り入れたい人にはミサンガ。

 

親会社やスポンサーよりも地域のアピールで他のプロスポーツ(といっても野球)と決定的な差別化をプロリーグ発足、どのスタジアムも満席となる時期に植え付けたことは素直に素晴らしい。

 

当時は意味がわからなかったが、川渕氏とナベツネが論争していたが、親会社か地域かを論争していたのかと。川渕氏戦ったな、と今にして思います。

 

私の周りにグランパスを応援する人はいませんでした。「リネカーがいるな!」と言われても私もリネカーがどれほどのものだかもわからないのでしたが。

 

ヴェルディ好きは多かった。カズ派なのか武田派なのかという感じ。

 

マリノス好きは=井原かっこいい、でしたね。木村和司や水沼とか、名選手たちよりも全部井原!でした。

 

幼馴染がアントラーズサポでした。親が住友系だったからですね。でも同じ学校にはいなかった。

 

2ステージ制であるとか、リーグ戦と天皇杯の違いもわかっていなかった初年度はあっという間に終わっていました。

 

なので、ジョルジーニョは知ってましたが、ガルサのクリア、とかディドは一度引退していたとかも知らずに終わっていた初年度でした。