下町ビュー

国内サッカー(主にグランパス)、社会福祉と街歩き、人について書いています。

君は何故仙台へ行くのか<戦前記>-ルヴァンNoSt2ndレグ-

イントロ

リーグ戦で勝ち星を拾えず、先日の清水戦に至っては今季ワーストを思えるサッカーを展開したグランパス

≪自分たちの枠の中で≫という今シーズンのキーワードに縛られているかのように、枠の中でパスを回し、崩す機会を逸し、仕留めきる場面まで及ばない現状。

そんな中、一瞬の光明というか、ポジティブなトピックといえばルヴァン杯である。

ノックアウトステージに進出、ノックアウトステージ1stレグは見ていませんが、菅原の一応のラストマッチということもあり、また快勝したことで幾許かの期待を持つことができている。

そして、その勝利を掴んだメンバーはリーグ戦ではスタメンに名を連ねないメンバーで構成されている。

私はそのメンバー達が繰り広げるグランパスのサッカーを観たいと思った。

 

はじめに

6/26(水)というど平日のナイトゲームに東京下町に住む私が何故、現地観戦をするのか。

理由の一つとしては上述の通り、停滞しているチームの中で小林や金井、櫛引といったリーグ戦で活躍の場を与えられていない実力者達が躍動する姿を観たかったから。

都心住まいの私は基本関東でのアウェイゲーム観戦が主。ホームにも行きたいが観戦に至るハードルが上がってしまったのも事実ある。

そして一番の理由は、昨冬に転職したものの環境不適合を起こし、ハラスメント等々の理由から現在出勤停止、自宅療養を課せられている身分であり、時間があったことが最もな理由だ。

 

メンタリティ

私事で恐縮だが、昨冬の転職は現職場からのオファーに基づくものであった。前職場での仕事を評価され引き抜かれたという表現で違いはない。

但し、職場の環境、ハード面、ソフト面においてそれは全く違った。精神的プレッシャーは並大抵のものではなかった。おこがましい表現でいえば、高額の移籍金で移籍したにも関わらずチームに馴染めず、ミスを繰り返した挙句、負傷し戦力にもなれなかった、という信条に合致するものがあった。

上司からのハラスメントは言い換えればファンサポーター、又はそれ以外の人間、マスコミからの誹謗中傷と同意であると感じた。

個人的に記憶に新しいのは中村俊輔セルティックでの華々しい活躍の後、リーガのエスパニョールに移籍したもののご存知の通りの成果だったことだろうか。

他にも同様に大きたいな期待を背負い移籍したものの「世紀の大失敗」と評される選手は枚挙にいとまがない。

 

ルヴァン杯のメンバーたちに感じた共感

選手たちのコメントを見ても、当然目標とするのはリーグ戦でのスタメン、及び出番である。

昨シーズンのルヴァン杯のメンバーを思い出して欲しい。

正直厳しいメンバーであり、残留が最優先という状況をトップチーム自ら招いた影響もあり、風間サッカーに反旗を記すようなメンタリティで戦っていた印象が強い。

思い出されるのはガンバ大阪戦。快勝した試合。

その試合で躍動したのは既に移籍したFW押谷、DF畑尾ら1.5軍どころか2軍といって差し支えなかった。「今日のサッカーをやればもっと勝てる」といったニュアンスだったことを強く覚えている。

ただ、勝てなかったと思う。押谷をはじめ、チームが目指す方向性に沿わずに志向したサッカーだったからだ。

 

果たして今期のメンバー。

GK武田をはじめ、全員リーグ戦でスタメンで出場してもおかしくないメンバーだ。

そして彼らメンバーは決してチームの方針から逸脱せず、グランパスのサッカーを突き詰めているメンバーなだけに、リーグ戦で十分な出番を与えられていない今の状況、信条たるや想像に難くない。

 

「仕事をさせてもらえる時間と場所があれば貢献はできる」

この矜持が金井をはじめ彼らのコメントから強く伝わる。

 

今の私と同じなのだ。チャレンジしたミスに対して懲罰交代が横行するチームに加入したい選手はいない。そのまま腐る選手もいる。

 

私もそうだ。私は腐った。

 

しかしグランパスのメンバーはリーグ戦メンバー以外が一つになっている様子がメディアから伝わってくる。

「こうしたらフィニッシュまでいけるっしょ」という金井の言葉を信じたくて仕方ない。相変わらずコメントを出さない小林も同様のことを考えているに違いない。

 

腐ってしまった私に、腐っても考えてやることやれば「ほら、できるんすよ」というメッセージをくれそうな私の心の拠り所が、ルヴァンを戦うメンバーなんだ。

 

ゴール裏での観戦

私は記憶の限りでは2003年頃から、現地観戦でゴール裏観戦を始めた。

スタジアムで不意に声かけられたガングロギャルに誘われたのがきっかけだった。

それ以来、2010年、そう、名古屋グランパスが悲願のリーグ優勝を果たしたあのシーズンまでゴール裏民を続けた。

観戦仲間はあえて作らなかった。

ただ、得点時などに、自然発生的に起こる周囲とのハイタッチ等の喜びの共有は何にも代えがたい喜びであった。

 

ただ、私は感情移入型の人間であり、勝敗によっての自分のパワーコントロールを調整できない人間だった。

人間は楽しいとき、興奮時には交感神経が優位になる。平常時よりも高くなるのだ。その交感神経がゴール裏での観戦時には溢れんばかりの神経伝達を起こしていた。

 

そうするとどうなるか。

翌日以降である。日常に戻れば交感神経と副交感神経のバランスが整っていく。

前日に交感神経をはじめ、脳内を興奮させ幸せホルモンが多量に分泌されていたのが、日常になれば当然減るのだ。

ご経験のある方もいるかもしれない。「燃え尽き」に近い感じだ。

私は精神的にそのような質を持っていることにより日常の仕事にも影響を及ぼしていた。これは一種の社会障害である。

 

タイミングよく、ゴール裏卒業を決心する場面は訪れた。

2010年のリーグ優勝である。

私はこのシーズンの最終節・豊スタでの広島戦のゴール裏にいた。優勝のセレモニー。それをビールを浴びるほど飲みながら眺める時間は至福であった。

そして私はこの日を以てゴール裏民を卒業することを決めた。

 

それ以来、実は降格した2017年までに現地開催した試合は恐らく一試合。

声も出さず、国立競技場のゴール裏上層部でおとなしく見ていた。

 

そしてユアテックスタジアムでゴール裏へ向かう

風間体制になってからはスタジアム観戦を復活した。

ただし全てメインやバックスタンドなどで応援などより試合展開を見ることを目的としていた。

正直、指定席を購入するコストも昔に比べ容易になった。

 

ユアテックでも指定席を購入することは容易だった。

だが、ゴール裏を選んだ。

 

応援したかった。

声を出し、伝えたかった。プロである彼らのプロたる所以を観たかった。

彼らにおくるメッセージは自分にも返ってくるんじゃないかと、思った。

 

今、自分は自分の心の拠り所に縋っている。勝ち負けじゃない。

ルヴァンのメンバーにしか出せないものがいまのグランパスにはあると思う。

 

おわりに

グランパスに限らず、ゴール裏席の持つ意味合いについてトピックになることが増えている。

最も安価なゴール裏自由席で初観戦を楽しみたいという方がいればそれは尊重したい。

しかし、サッカーはサポーターも含めてサッカーだと思う。

一番安い席で座って、足を組み、世界のサッカーと比較したいのなら私はDAZNで良いと思う。

プロの妙技を間近で見たいのであれば指定席を買い、ピッチに近い席を選ぶのもファンサポーターに求めらえるリテラシーだと思う。

 

何か求めるものがあった時に、テーマは同じでも¥200の書物を買うのか、¥2000の書物を買うのか。求めるものによって当然変わるはずです。

 

私は2010年頃と全く同じ格好で向かいます。

優勝シーズンの2ndユニ(背番号17を細工してMARUにする)、そして緑のキャップを被り、集ったメンバーとコアになって戦いたいと思います。