下町ビュー

国内サッカー(主にグランパス)、社会福祉と街歩き、人について書いています。

大森氏と選手との掛け違い。人は成長できるのか。

早いもので、12月3日をもって、今シーズンの全日程を終了したグランパス

ブログ作成にも手がつかず、死に物狂いで勝利した広島戦、奇跡的な残留を決めた湘南戦が遠い現実に感じます。

 

オフに入り最も激震を起こしたのは玉田への戦力外通告でした。

今シーズンもレギュラーで起用され、ピッチ内で攻守ともに絶大な存在感を見せてくれた玉田。衰えたのは局面の加速くらいなもの。

何故、クラブは玉田を戦力外としたのか。事実は補強の動向、結果でもって私たちが納得できるかどうかです。

今更になっても述べますが、この決定をしたのは大森SDと確信しています。その大森氏から玉田へ向けた言葉が玉田のブログから明らかになり、さらに大森氏への不信感が募りました。

この事態に赤鯱を始めとするグランパス番記者達も大森氏からの声を要求しました。思いのほか報道陣の前に出た大森氏でしたが、感情的にもなる番記者達の質問への回答はやや支離滅裂であったと感じました。

「自分も玉田と一緒にプレーした間柄。感謝している。彼にはこれからも試合に出続けることを期待したい。彼のためを思っての決断でもある。これは私だけでなく、監督や社長とも決めたことである」というコメントを発しました。

 

小西社長は現場でディレクションを行っている者どもの決定に基本的に逆らいません。現場がそう決めたのであれば承認するというスタンスでしょう。

風間監督も玉田は来季構想外、と考えるには疑問が残ります。

大森氏が他の選手獲得に大きな自信を持ったうえでの通達であったのでしょう。

 

玉田にしても個人的に影響力のある人間です。SNSを通じて「労いの言葉もなかった」と、交渉時やりとりを公表してしまうのはあまり良いことではありません。しかし、コンプライアンスをも考える余裕もなく、自身の心情を語ってしまったのだと思います。その点で、大森氏もここまでの事態になることは想定外であったでしょう。

 

大森氏は現役時代終盤、監督がセフからストイコビッチへ代わる際、否定的な意見を表明し、何故か?FC東京への移籍を希望したとの報道があったことを記憶しています。ピクシーが監督であっても選手としてまだやれたと思いました。

そんなこんなでひっそり引退。

フロントへの不満を露にしたまま退団したことで今後グランパスとの関りはないものと思っていました。そしたら2年ほど前にクラブに入閣。さして関心はありませんでした。

 

しかし、昨年の夏、突然の生え抜き選手磯村が移籍を決断しました。確かにポジション争いや自己のプレーが風間監督の求めるものと離れていた事実はあります。

しかし恐らく大森氏が放った発言のなかの一つ「もともと、来年の構想には入っていない」という非情な通達がされたと報道されました。おそらく、この磯村への対応は他の選手達にも少なからず影響を与えたでしょう。

その最もたる存在がクラブの象徴でもあった田口の移籍。

田口移籍に関しても相当な上から目線な回答が聞かれました。名古屋の宝と言える田口を手放したことはあまりにも痛く、今シーズン中盤に強度が失われたのは周知の事実です。風間監督を以て「心臓でありエンジン」と評された男への評価がドライなものであったことは、私個人が大森氏へ不信感を得るに十分なものでした。

 

今シーズン。夏の大型補強で大森氏の評価は上がりました。全てビッグディール。しかもほとんど情報の漏洩なく、監督の要望する選手をそろえてきました。

5名の新加入選手は全員、元のクラブで絶対的なレギュラーから外れた選手だった。つけ入る隙はあったのでしょう。そこへ周到なプレゼンを行い、気持ちを名古屋へ持ってきた手腕は評価します。

 

しかし、それらの功績と玉田への対応は違う。

大森氏は人間として、伝え方、功労者と呼ばれる人材、人へ対する言葉の伝え方に著しく障害を持っているというのが私の私見です。

来シーズン、強力なスカッドが加入したとして、事実、玉田の出番が減ったとしても、サポーターは玉田の力がいつか必要になると信じ、彼自身も出場機会を得るためにはどうしたらよいのか、考えることをしたはず。来年39歳となる選手でも、生きる場所を見つけるために一プレーヤーとしての評価を与えるべきだった。大森氏の一方的な思い込みで名古屋のレジェンドに大きな傷を負わせた責任は大きい。

玉田を慕う選手はクラブ内外に多い。人一人との付き合い方は組織の強化にも劣化しも影響します。

 

大森氏への評価は来シーズンが始まってから下すとしましょう。しかし、このようなクラブの出来事を見続けている中村直志がいつの日か、グランパスを取りまとめるポストに就くことを祈っています。

 

玉田の退団の報からしばらくして、昨年から名古屋のキャプテンを務めた佐藤寿人の退団も決まりました。日本を代表するストライカー。

2年間の在籍で彼が最もストロングとする部分をチームとして求められての起用は極わずかだったと思います。サイドハーフでの起用など、考え難いタスクを与えられていました。

寿人は降格し、焼け野原になったグランパスに土慣らし、再びピッチを緑にするために入団してくれました。一選手を越えた人間。

勝利したときには選手を束ね、ゴール裏で勝利を最高潮に盛り上げる演出を率先して行った寿人。ピッチ上で試合を終えることも少なかったですが、勝利の輪の中にはいつも彼がいました。

 

今年は名古屋グランパスという会社が総力を上げ、営業部門、マーケティング部門すべてがプロフェッショナルな活動を行い、その努力が結実した年でもありました。40000人を超えるサポーターをスタジアムに引き留めるべく、勝利をチームサポーターと分かち合う繋ぎ手になってくれたのは寿人でした。

 

裏方の仕事の総仕上げはピッチ上でプレーし、メインコンテンツであるJリーグの試合。来場した客を繋げることに意味を見出した寿人には功労賞を与えてもいい程。

次の移籍先に古巣・ジェフを選んだところも彼の人間性を表す決断だった。声を大にして「ありがとう」と言いたい。寿人が名古屋に二年間いたことをサポーターとして誇りに思います。

 

来シーズンへの展望はまたの機会に書きたいと思います。