下町ビュー

国内サッカー(主にグランパス)、社会福祉と街歩き、人について書いています。

天邪鬼でいられない今のグランパス

玉サユですこんばんは。

この名前ですが、苗字に玉がつくのと、名前を合わせたものです。

当然「玉」が付きますから、柏に在籍時から玉田のことは気になっていて、グランパスの一員になってからは玉田を推してレプリカユニ等も買っていました。

 

さて、昨シーズングランパスは豊スタ開催の鹿島戦で観客動員40,000人越を達成しました。先日の広島戦でも40,000人という、動員数。

 

ピッチ上で見ていて面白いサッカーをしている、クラブが観客動員のための施策を練り、それがライト層に伝わり、スタジアムで試合がある日が一日スタジアムで楽しめるというモデルが構築されているように思えます。

 

私は95年のベンゲル体制時代から本格的にグランパスの結果に関心を持ち始めました。初観戦はアウエー@横浜国際競技場での対横浜F戦。

メインスタンドビジターよりの1Fで観戦した記憶がありますが、印象的にはベンチ入りしていた小倉が声掛けにリアクションをしてくれて嬉しかった程度。

 

ゴール裏デビューは味スタでの東京ベルディ戦だったか。

当時のゴール裏は1階席のサポと2階席のサポで分かれていました。理由はわからない。私はズーム機能を持った一眼レフカメラを持っていた所、ゴール裏玄人の要であったギャルに声かけてもらって、初めてゴール裏で声を出して応援する楽しさを知りました。

 

ご存知の通り2000年中盤のグランパスは中位を守れれば御の字、という体質が会社としてあったと思います。特に、対外的なプロモーション活動もしていたとは思えず。

しかし、そのことは私のようなホームに滅多にいけない関東サポからするとありがたく、開場してからでも、シート張りもせずに会場に到着してゴール裏の中心部近くで楽しく過ごせました。

関東でのアウェー観戦が主たる私からすると、たまのホーム観戦で気になったのが現地民と思われる方々の「諦めの速さ」に驚きました。

 

関東でのゴール裏は両サイド全く見ず知らずの方々でも、ビハインドを負う場面でも声を出し続け、一体感を感じることができていた印象が強いです。

 

そんな私は2010年、優勝を決めたシーズンのホーム最終戦。人生で初めてシート張りを行い、ゴール裏に。既に優勝は決まっていましたが、セレモニーの最中に「何か自分の中で終わりにしよう」という決心がつきました。

 

グランパスに懸ける感情は脳内の攻撃的であったり、快の感情を生み出す脳内ホルモンが過剰分泌されたことから、翌日からの虚無感と上手く折り合いをつけていくが困難になったからです。

 

2012-2016シーズン

動画もスカパーであったため、ほっとんど見ませんでした。

ただ、功労者への仕打ちや、お家芸騒動がたくさんあった時期ですね。このころの平均来場者数はさぞ少なかったでしょう。

 

長時間待つこともなく、ふらっと訪れてもグランパスの試合を見れてしまうことも私の中では大事なことだったんですが。

 

2017~

J2降格しました。

私はこの年から関東地方での現地観戦を再開し始めました。

主にメイン及びバックスタンドで。

 

奇跡的残留を果たした昨年から、今シーズン。

そのゲームの楽しさは過去最高です。

現地観戦しないとわからない、かけひき、フレーム外から猛ダッシュしている選手を見れる。

 

風間体制3年目で正直私たちもグランパスのサッカーに対する目が揃ってきた気がします。

 

10年程前であれば、気が向いたら観戦しに行くかって感じで見に行けたグランパス戦がそうではなくなってしまった。それはそれで寂しいというか、大衆性がなくなってきているんだろうけど、1試合に向けたクラブ総出でのプロジェクトの一員になることが今のグランパスのファミリーになれることだとおもいました。

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サポの自主企画性で生まれるグランパスへの愛情

マリノス戦でのギャラクシー。

選手側からホームでもやってよ!って要望が出たら最高ですね。

 

今のグランパスにはストイコビッチもいない。楢崎もいない。

誰か代表に入っている選手いるの?と聞かれても、それは先ずグランパスの試合を見てからディスカッションしようか、私はそう言います。