78年組ルーキーに夢見た頃
2人は1978年生まれの高卒選手としてグランパスに加入しましたが、この1978年生まれの高卒選手は彼ら以外にもグランパスの歴史に名前を残した選手たちがいました。
彼ら78年組が加入したのは1997年。
前年途中までベンゲルがチームを率い、その後、現イラン代表監督でもあるカルロス・ケイロスが就任。スタートからチームを率いるシーズン。
シーズン前に95~96年にピクシーと共に主軸外国人選手であったデュリックスが退団。不動のセンターハーフを失ったこと、ベンゲルロスでもあった私含めたサポーターは何となく自らを優勝候補とは挙げられなかった。
デュリックスが残留していればピクシー・デュリックス・トーレスのセンターラインは残ったわけで、心持も変わっただろうに。
さて、そんなある意味ベンゲルによって強豪の仲間入りをしたその後、ネクストステージ。
上記の二人に加え、この年の高卒ルーキーは東福岡高校卒の古賀正紘、奈良育英高校卒の中谷勇介、武南高校卒の滝沢邦彦が加入。
古賀については「超高校級」とか「未完の大器」とか、今代表に入っても活躍できるといった評価が与えられており、この年の筆頭選手・中村俊輔と並んでの目玉選手でした。関東のクラブ入団を決めていたところにベンゲルからの手紙でのオファー、これを受けてグランパス入団を決めたとの記事もあります。
中谷についても全国的な知名度を獲得していた学生であり、期待は大きいものがあった。
監督のケイロスはルイス・フィーゴ、ルイ・コスタを中心としたポルトガルのユース世代を率いて大会優勝という実績のある指導者でした。
個人的な各選手への思いも込めて紹介したいと思います。
加入当初は無名だったと思う。
しかしデビューは一番初めだったかな?ケイロスは左サイドバックで起用。
本来のサイドハーフには代表にも選ばれるようになった平野がいたこともあった。
「ぬるぬるドリブル」と表現された取られそうで取られない、抜けなさそうで突破してしまうドリブル、侮れないキープ力があった。サイドからクロスも上げていましたが有効だった記憶はあまりない。
出場機会のわりに得点数が少なすぎた。おとなしいイメージ、何とも無難な存在感故に、優勝争いにも加わらない、残留争いにも加わらない中位安定グランパスを象徴する選手となった。
ルーキーイヤーは滝澤に先を越されたものの、2年目からは不動の左サイドバックに定着。ディフェンスは貧弱ながら、たまに発動する果敢な攻めあがり、高精度なアーリークロスは歴代のグランパス選手の中でも飛びぬけていたと思っています(※全体的な精度は阿部ショー)。割と戦力たり得ていたと思っていた矢先に浦和に移籍。移籍後初めての試合で怪我、浦和では一試合出場という、なんとも、スポセンの偵察だったのかと思えた移籍でした。その後、川崎Fを経由してグランパス復帰を果たしてくれたのは非常に嬉しかった。
キャンプで宿泊していたホテルのバルコニーで携帯電話をトンビにかっさわられる、というネタでグランパスサポーターの心に残りました。
現クラブのスタッフに戻ってこれるのも頷ける人間な気がします。
今シーズン前、クラブの象徴でもあった田口の移籍に大きな議論が湧きました。グランパスの象徴が自ら望んでの移籍、というのはサポーターに与えるショックは大きい。
そういったショックを初めて与えてくれたのが古賀。
9シーズン目を終えた後、突如、柏レイソルに移籍。
良いときは良かった。高さもあり、スピードもある。ズバッときまるインターセプトが古賀の一番の良さだったと思います。
強靭なメンタル、執念といった精神面と多少のパス精度があれば代表にも選ばれたと思う。長い目でみれば敵わなかったとしても、中澤と並び称されてもよかったかな。
個人的に、現地観戦したときに良くゴールを決めてくれた。
セフ時代にはFW起用され、それに答えてしまえる程の能力があった。
どう見てもハンドとジャッジできるプレーでゴールを認めさせるとか、すごかった。
マリノスが最強だった頃、久保が日本最強のFWに覚醒した時期の日産スタジアムでの試合。明らかに気合十分の古賀が「そこでそりゃないよ」って程鋭すぎ、且つ、大きな動作のタックルを久保に仕掛けたものの、ファウル。一発退場となった。あの気迫を常に持ってプレー精度を上げて欲しかった。移籍先ではそれなりの出場経験を生かして活躍。精神的に逞しくなっていると思いきや、古巣グランパス戦では連続で退場してしまう。
グランパスが優勝した2010年には磐田に在籍。高校の後輩でもある千代反田にキレてグランパスサポーターから大ブーイングを受ける。
愛された選手だった。怪我の影響もあって地元アビスパで引退したものの、少しで良いからグランパスに戻ってきて欲しかった選手である。
現在はグランパスのスクールコーチ。もっと堂々と姿を現して欲しいし、インタビューの一つくらいされて欲しい人間だ。
78年組が活躍したかといわれれば、グランパスでは頑張ったと言える。アンダー世代の代表に古賀と中谷は呼ばれるなどしたが、最終メンバーにはなれなかった。
2000年前のJリーグは高卒選手を多く獲得するも活躍の場もなくカテゴリーを落としセカンドキャリアを築けないという社会問題を起こした。
そんななかでも上記3人はJリーグの舞台で生き続けてこれた。これはこれで誇らしいプロ生活だったと言える。
少なからず古賀と中谷が今もグランパスに関わっていることに喜べるのはクラブを応援し続けた報いでもある。